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臨床報告 老人性難聴に付随する耳鳴りへの中医学的鍼治療の試み
呉 孟達(a) Lawrence C-L Huang(b) 稲福 繁(a)
(a) 愛知医科大学耳鼻咽喉科教室
(b) 上海中医薬大学鍼灸科教室
要旨
現代医学的治療が難渋した老人性耳鳴りの四症例に対して、中医学的鍼治療を施行した結果、興味深い臨床知見が得られたので報告する。
初診時、純音オージオグラムでは全症例とも高音漸傾型の感音難聴を呈し、また標準耳鳴り検査法においては、各症例それぞれに最高14dBから6dBまでの耳鳴りラウドネスが検出されていた。さらに語音聴力検査やSISIテストにて、症例1と症例2はいわゆる迷路型、症例 3は混合型、そして症例4は後迷路型の聴覚障害であると判明した。
その一方で、中医学的弁証論では、全症例の病因病機はいずれも、耳や脳の基本栄養物質である腎精気の加齢による衰退、すなわち「腎精虚損証」に深く関与しているものと診断された。これより、いわゆる「補腎益気・養耳健脳」という治療原則を導き出し、それに基づいて週1回、連続10週間、合計10回の鍼治療を行った。
その結果、明らかな迷路性障害が存在した症例1・2・3は、ほぼ毎回鍼治療後、約半日から数日間に亘って、程度差があるものの確実な耳鳴りの軽減効果が見られた。特に3回目の治療以降は、それぞれの症例における自覚的耳鳴りの大きさや耳鳴りのラウドネスは、常時治療前の 1/2~1/3のレベルにまで低下するとほぼ満足の行く臨床効果が示された。しかしながら、症例4に関しては今回の鍼治療の期間中には、耳鳴りラウドネスの多少の変動が見られたものの、全般的に病状の明らかな緩解までには至らなかった。
結論として、中医学的鍼治療は老人性耳鳴りに対して一定の軽減作用を有するものであろうが、その中でも後迷路性のものに比べ、とりわけ迷路性または混合性の耳鳴りには、より適した治療方法ではないかと考えられる。今後、そのさらなる臨床応用が期待される。
緒言
老人性感音難聴およびそれに伴う神経性耳鳴りは、加齢による聴覚機能の生理的変化と定義され、臨床上治療に苦慮する場合が多い。特に、感音難聴が手話法や補聴器などのリハビリテーションの積極的な取り組みによってある程度の聴力補償効果が得られるのに比べ、神経性耳鳴りへの治療アプローチは非常に乏しいとも言えよう。
一方、中医学的見地によれば、耳機能の変調は実に腎機能の衰退(ここでの腎とは、現代医学に言う腎臓や生殖器などの複数の臓器を包括した、いわゆる人体の生命活動の本源を生み出す一つの機能体を表すものである。)と密接な関係にあると理解されている。つまり、古来より「腎は耳と二陰に開竅する」)と言われているように、腎と耳は無形な経絡を介して直接相通じており、健康体の時には,充溢した腎のエネルギーである腎精気がこの経絡を通じて耳に到達し、耳竅(狭義的に内耳、迷路を指す)を滋養することによって、様々な耳の生理学的機能の発現に寄与すると考えられている。
また、腎精気は脳髄を構成する物質の本源でもあることから、脳竅性聴覚機構、現代医学的に言えば中枢側の後迷路性領域に相当する部分の常態の維持にも不可欠な存在と想定される。そのため中医学弁証論では、多くの聴覚機能障害の病因病機を腎機能の失調に求める傾向が強く、特に腎機能の衰退に拍車がかかる中年以降の神経性耳鳴りの治療にあたっては、腎功能の補強や改善を第一義に考えることが大方の見識でもある。
以上のことを踏まえ、今回われわれは現代医学的治療が難渋し、中医学的弁証では腎機能の衰退、すなわち腎精虚損証と思われた四症例の老人性難聴に伴う神経性耳鳴りに対して、いわゆる「補腎益気・養耳健脳」という治療の大綱に基づいて鍼治療を行った結果、興味深い臨床知見が得られたので報告する。
図1 各症例における諸検査の結果
註:自覚的評価の数字は、耳鳴りの大きさ・耳鳴りの持続・耳鳴りの気になり方のスコアを表している。